スペシャル
作家・原田マハ × 東京都美術館 学芸員・大橋菜都子
スペシャル対談
東京展 

原田マハ
1962年東京都生まれ。関西学院大学文学部日本文学科、早稲田大学第二文学部美術史科卒業。伊藤忠商事株式会社、森ビル森美術館設立準備室、ニューヨーク近代美術館勤務を経て、2002年フリーのキュレーター、カルチャーライターとなる。2005年『カフーを待ちわびて』で第1回日本ラブストーリー大賞を受賞し、2006年作家デビュー。2012年『楽園のカンヴァス』で第25回山本周五郎賞を受賞。2017年『リーチ先生』で第36回新田次郎文学賞を受賞。ほかの著作に『本日は、お日柄もよく』『キネマの神様』『たゆたえども沈まず』『常設展示室』『ロマンシエ』など、アートを題材にした小説等を多数発表。画家の足跡を辿った『ゴッホのあしあと』や、アートと美食に巡り会う旅を綴った『フーテンのマハ』など、新書やエッセイも執筆。
ゴッホをプロデュースしたのは女性だった⁉︎
大橋9月12日(金)から東京都美術館で開催される「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」は、ファン・ゴッホ家が受け継いできたファミリー・コレクションに焦点を当てた展覧会です。ゴッホの死後、その膨大な作品は弟のテオドルス・ファン・ゴッホ(愛称テオ)が管理していましたが、兄の死から半年後に彼が亡くなってしまったため、作品はテオの妻ヨハンナ・ファン・ゴッホ=ボンゲル(愛称ヨー)が引き継ぎました。彼女の死後は息子のフィンセント・ウィレム・ファン・ゴッホ(愛称エンジニア)がフィンセント・ファン・ゴッホ財団を設立し、現在作品はアムステルダムにあるファン・ゴッホ美術館で公開されています。
このようにファン・ゴッホ美術館のコレクションはゴッホの家族が守り伝えたものですが、とくに28歳でシングルマザーになりながらも、ゴッホの手紙を編纂し、その作品とともに世界に広く紹介して、義兄の画家としての価値を高めたヨーの功績には目を見張るものがあります。6月27日には、本格的なヨーの評伝『ヨー・ファン・ゴッホ=ボンゲル 画家ゴッホを世界に広めた女性』も日本で出版されましたが、原田さんはヨーについてどのように考えていらっしゃいますか?

原田まず、ゴッホについてですが、画家としての活動期間はわずか10年ぐらいであるにもかかわらず、彼ほどその壮絶な人生や作品について、多くの人に共有されているアーティストはいないと思います。そしてそんなゴッホを、経済的・精神的にサポートしたのが弟のテオだったことも有名です。しかし彼は、ゴッホの死から、わずか半年後に亡くなってしまいました。ということは、ゴッホの生き様や、作品が生まれる過程、兄弟の絆などを伝えたのはテオ以外の誰かということになるのですが、その役割を果たしたのは、実はテオの妻、ヨーという女性だったんですね。「フィンセント」という無名の画家を、「ゴッホ」という世界的な画家へとプロデュースしたのは、なんと女性だった。しかもゴッホとは何の血のつながりもなく、たまたま結婚して、ファン・ゴッホという名字を名乗ることになってしまった弟の妻だったということを初めて知った時、私はまだ学生だったのですが、本当に「えっ!」と驚きました。今まで日本では数限りなくゴッホの展覧会が開催されてきましたが、ヨーの存在は必ずしも出てこなかったじゃないですか? もちろん彼女は自分を前面に押し出そうと思ってやっていたわけではないのでそれでもよいのでしょうが、今回ゴッホ・ファミリーの展覧会開催と同じタイミングで、決定的な評伝も出ると聞いて「すごい潮目がきたんだな」と思いました。

手紙の出版、ヨーが成し遂げた最大の功績
大橋本当に、ようやくヨーにも脚光が当たってきましたね。原田さんは『たゆたえども沈まず』などの小説の中でヨーを登場させています。小説を書くにあたって沢山のことを調べられたと思うのですが、今回、ヨーの評伝を読んで、彼女について初めて知ったことや、印象に残ったことがありましたら教えてください。
原田大橋さんも感じられたと思うのですが、とても知的な女性ですよね。読書家で、本人も作家になりたいと思ったことがあるぐらいに文章を書くことが好きだったと知って、とても嬉しく思いました。文筆的な素養があったからこそ、ゴッホの手紙がいかに文学的な魅力を持っているかということに、彼女はいちはやく気づくことができたと思うのです。「狂気の画家」と言われることもある義兄ですが、本当はそうじゃない、彼は非常に知的で美しい文章を書く人なんだ、ということを、ヨー自身がゴッホと文通したり交流する中で、身をもって知っていたのです。だからこそ彼女が出した「ゴッホの手紙」はものすごく説得力があったし、その仕事は彼女以外できなかったと思います。
そして、ゴッホの手紙は、自分の作品を自分で解説する非常に重要な資料であることも、ヨーは気づいていました。一見すると驚くほどに激しい絵でも、「どうして僕がこの絵を描いたかというと〜」と、ゴッホはちゃんと説明してくれている。これはキュレーターの方の研究に基づく解説や、作家がフィクションの中で行う解釈とは全然違う意味合いで、アーティストが自分の口で作品を語ることの有効性を証明した最高の例だと思います。しかも単なる解説というより、「これはこうなんだよ」と思いを伝えるようにテオに語っているところもエモーショナル。実際に絵があるだけでなく、そこにゴッホ自身の言葉までついてくる。これはものすごい宝だということにヨーが気づいて世界に送り出したことは、相当な偉業だったと思います。
その前に、テオがゴッホからもらった何百通もの手紙を、マホガニーのタンスまでつくって大事にとっていたこともすごいのですが(笑)。

ゴッホ伝説の始まりは、テオとヨーと出会い
大橋私が意外だったのは、音楽や文学の素養のあったヨーが、美術とはほとんど縁なく育ったということなんです。ですから彼女は、テオと知り合って初めて美術に触れ、2年にも満たない結婚生活の中で、まだ評価の定まらないゴッホの作品を見、義兄の精神状態ががどんな状況にあっても、テオの言葉を信じて「この人はスゴいんだ」という思いを持ち続けた。自身の手紙がこれほどまでに知られるゴッホという画家は、とても珍しい存在だと思うのですが、やはりゴッホを最初に世に広めたヨーという人物が、文字や言葉で思いを伝えることに情熱をかけられる人だったということが、今私たちが知るゴッホ像にすごい影響を与えていると思います。

原田そうですね。ゴッホのイメージって今いろんな形にトランスして拡散されていますけど、その最初の一滴を落とした人がヨーですものね。小説を書くにあたってアーティストを調査していると、必ず「ここでもしこの人が違う方向に行っていたら、こうはならなかったな」という重要なエピソードに出会うものなのですが、ゴッホの場合、そのポイントがまさにヨーだったと私は思っているんです。だってこの評伝を読むと、ヨーって直前まで別のボーイフレンドと付き合っていたじゃないですか。もしヨーがその人と結婚していたら、現代美術史が確実に変わっていたと思うと、私は本当にギョッとするんですよ。逆に言えば、彼女がテオのプロポーズを受け入れた時点で、今あるゴッホ伝説は始まっていたということもできる。テオがちゃんとした人を見つけてくれたというのもやっぱり神の采配としか思えなくて、それだけでも「テオ、ようやった!」と思います。
ヨーは全女性を照らす太陽のような存在
大橋作品をお見せすることが主な目的となるので、展覧会でヨーそのものを紹介することはなかなか難しいのですが、ゴッホというとまだまだ「孤高の画家」というイメージが強いなか、実は家族がこんなにも彼の作品を愛して、時代を超えて繋げる努力をしてきたんだ、ということが、今日の原田さんのお話でおわかりいただけたのではないかと思います。このお話を踏まえて「ゴッホ展」をご覧いただくと、ゴッホや彼の作品に対する印象は今までとずいぶん変わってくると思います。
原田今回私は講演会もさせていただくのですが、ヨーとファミリーがいかにしてゴッホを支えてきたのかということを、余すことなくお伝えできればと思っています。19世紀的な慣習の残る男性優位の美術界にあって、シングルマザーのヨーがゴッホの功績を世に広めるためにいかに奮闘したかを知れば、私たち女性は非常に励まされると思うんですよね。少なくとも私はとても励まされましたし、こういう人がいてくれたことは全人類、全女性を照らす太陽になると思いました。今、世界的にもきな臭い社会情勢が続いていますが、「ゴッホ展」は、家族という最低限の集合体の中でお互いを支え合い思い合っていれば、文化や芸術を次の世代に繋いでいけるんだよ、国家同士の戦争や内紛で争っている場合じゃないんだよ、ということを伝えてくれる、とても重要な展覧会だと信じています。
(取材・構成/木谷節子)
