みどころ

開催趣旨

フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)の作品は、今日までどのように伝えられてきたのでしょうか。本展は、ファン・ゴッホ家が受け継いできたファミリー・コレクションに焦点を当てます。
フィンセントの画業を支え、その大部分の作品を保管していた弟テオは兄の死の半年後に生涯を閉じ、テオの妻ヨーが膨大なコレクションを管理することとなります。ヨーは義兄の作品を世に出すことに人生を捧げ、作品を展覧会に貸し出し、販売し、膨大な手紙を整理して出版するなど、画家として正しく評価されるよう奔走しました。テオとヨーの息子フィンセント・ウィレムは、コレクションを散逸させないためにフィンセント・ファン・ゴッホ財団を設立し、美術館の開館に尽力します。人びとの心を癒す絵画に憧れ、100年後の人びとにも自らの絵が見られることを期待した画家の夢も、数々の作品とともにこうして今日まで引き継がれてきました。
本展では、ファン・ゴッホ美術館の作品を中心に、ファン・ゴッホの作品30点以上に加え、日本初公開となるファン・ゴッホの貴重な手紙4通なども展示します。現在のファン・ゴッホ美術館の活動も紹介しながら、本展をとおして、家族の受け継いできた画家の作品と夢を、さらに後世へと伝えてゆきます。

本展のみどころ

1

ホ家の 焦点
展覧会

gogh
*1
(1853–1890)
gogh
*1
テオ (愛称テオ、1857–1891)
の弟
gogh
*1
ヨハンナホ=ボ (愛称ヨー、1862–1925)
の義妹
gogh
*2
(愛称エンジニア、1890–1978)
の甥
  • *1Credits of the photos: Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent Van Gogh Foundation)
  • *2©:unknown
2

30点以上のホ作品で
初期晩年
画業

《女性の頭部》
《女性の頭部》1885年4月 油彩、カンヴァス
《グラジオラスとエゾギクを生けた花瓶》
《グラジオラスとエゾギクを生けた花瓶》1886年8–9月 油彩、カンヴァス
《モンマルトル:風車と菜園》
《モンマルトル:風車と菜園》1887年3–4月 油彩、カンヴァス
《浜辺の漁船、サント=マリー=ド=ラ=メールにて》
《浜辺の漁船、サント=マリー=ド=ラ=メールにて》1888年6月 油彩、カンヴァス
《種まく人》
《種まく人》1888年11月 油彩、カンヴァス
《羊毛を刈る人(ミレーによる)》
《羊毛を刈る人(ミレーによる)》1889年9月 油彩、カンヴァス
《木底の革靴》
《木底の革靴》1889年秋 油彩、カンヴァス
《麦の穂》
《麦の穂》1890年6月 油彩、カンヴァス
《農家》
《農家》1890年5–6月 油彩、カンヴァス
《女性の頭部》
《女性の頭部》1885年4月 油彩、カンヴァス
《グラジオラスとエゾギクを生けた花瓶》
《グラジオラスとエゾギクを生けた花瓶》1886年8–9月 油彩、カンヴァス
《モンマルトル:風車と菜園》
《モンマルトル:風車と菜園》1887年3–4月 油彩、カンヴァス
《浜辺の漁船、サント=マリー=ド=ラ=メールにて》
《浜辺の漁船、サント=マリー=ド=ラ=メールにて》1888年6月 油彩、カンヴァス
《種まく人》
《種まく人》1888年11月 油彩、カンヴァス
《羊毛を刈る人(ミレーによる)》
《羊毛を刈る人(ミレーによる)》1889年9月 油彩、カンヴァス
《木底の革靴》
《木底の革靴》1889年秋 油彩、カンヴァス
《麦の穂》
《麦の穂》1890年6月 油彩、カンヴァス
《農家》
《農家》1890年5–6月 油彩、カンヴァス
  • いずれもファン・ゴッホ美術館、アムステルダム (フィンセント・ファン・ゴッホ財団)
  • Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)
3

ホが
作品や、
初来日
ホの手紙
4通展示

「傘を持つ老人の後ろ姿が描かれたアントン・ファン・ラッパルト宛ての手紙」
1882年9月23日頃ペン、インク、紙
ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation) (purchased with support from the Mondriaan Fund, the Ministry of Education, Culture and Science, the VSBfonds and the Cultuurfonds)

ンセン《画家としての自画像》

1890年5月17日、ヨー・ファン・ゴッホ=ボンゲルはパリで初めてフィンセント・ファン・ゴッホと会った。病気と聞いて想像していた姿と異なり、たくましく健康的な様子に驚いたという。ヨーはすべての自画像のなかでも、本作の姿がこのときの印象によく似ていると回想している。

ファン・ゴッホはパリで本作を描いたのち、南仏アルルへ移った。テオのもとに置いてきたこの自画像について、妹に伝えた手紙が残っている。彼は自らの表情について、「ピンクがかった灰色の顔」は「生気がなくこわばっていて、赤ヒゲが伸びたまま物悲しい」と書き記した。

この自画像からどのような印象を受け取るか、ぜひ会場で実際に作品と向き合ってもらいたい。いずれにせよ、2年間のパリ時代終盤に描かれた本作が、その集大成といえる自画像であることに変わりはない。パリで身につけた筆づかい、補色を効果的に用いた豊かな色彩表現にもぜひ注目していただきたい。

フィンセント・ファン・ゴッホ 《画家としての自画像》
1887年12月-1888年2月 油彩、カンヴァス

ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)
Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

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